2012/1/14
で、「かもめ食堂」。
2006年の公開時に劇場で観たけれど、もう一度味わいたくなって借りてしまいました。
物語のスパイスとしての「シビアさ」がすごくいいなあ。
人は変わっていくもので、他人がそれを止める権利はない。
世界中のどこにいたって、哀しい人は哀しい。
この映画の淡々とした語り口や世界観は、「だからこそ、人生は愛おしいんだよ」という哀しみを前提とした希望をさらりと見せてくれている。
ミドリが「私が居なくなったら寂しくなりますか?」と聞いたときに、サチエが「まあでも、元々一人で始めた店ですからねえ」というシーンが好きだ。
本意なのか、言い聞かせているのか、あるいは両方なのか。
『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』で、トッペマが「運命のレールを元に戻すだけよ!」と言って捨て身の攻撃をするシーンを不意に思い出す。涙が出るほどのあの名台詞。
元々は一人だったから、一人に戻るだけだよ。
それは事実だけど、きっとサチエさんにとっても真実じゃないんだろうな。
2012/1/14
小林聡美は「めがね」のような訪問者よりも、この「プール」のような受け入れる側の人の方がしっくり来るかもしれないなあ。
実は伽奈のファンでして。何気ない言葉の一つ一つが聞いていてちっとも邪魔じゃなかった。
黒髪ショートで顔立ちがクールで高身長。どストライクです。
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不器用さというか。うーん。あんまりそういう言い方はしたくないんだけど。
娘へ贈るストール。布を真剣に選んで、夜なべをして刺繍をして。
娘のベッドの枕元には赤い小さな花束を置いて。
娘が初めて自分の元の訪れた日の夕食は、張り切ってちらし寿司にして。
けれど、そんなことは娘の前ではおくびにも出さず、いつだって自分の生きたいように生きてきた。
もどかしくて、愛おしい。
こんな風に、こんな風なやり方でしか、伝えられないんだ。
自分の娘に、私は自分のやりたいようにこれからも生きていくけれどそれでもあなたを愛している、と。
「さよさん、やっぱり似てますよ、京子さんに」
母親と一緒に暮らしたかった。それは叶わなかったけれど、イコール、母親が自分を愛していない、というわけじゃない。
人生で様々な人との出会いと別れを繰り返し、互いに影響を与え合う。
それが例え肉親であっても、同じこと。
娘のさよも十分不器用だし、大人げない。それでもきっといつか京子のように、自分なりの愛し方を見つけてゆくようになるんだろう。
人生って面白い。一瞬一瞬が過去の選択の上に成立しているのに、自分が今ここで確かに生きていることが、何だか奇跡のようだ。
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しかしあれですね。「めがね」の主題歌は大貫妙子で、「プール」は佐野遊穂。「かもめ食堂」は井上陽水だったね。なんて凄みのあるメンバー。
それぞれ、人生の酸いも甘いも歌い尽くそうとしている人たちじゃないですか。
昨日、考古と食べに行ったお好み焼き屋さんでも井上陽水が流れていた。レッチリも、ビートルズも、矢野顕子も。すごい選曲だった。
私は私以外の人にはなれないし、その代わりもできないのであれば。
私は私なりのやり方で愛していると伝え続けなくてはいけないし、相手の心の中の私しか居れない場所をきれいに掃除して、甘めのお香を焚いておくしかないんだな。
次の炭酸の準備はできている。けれどその前に、もう少し、頑張るね。
明日も優しい雪が降りますように。おやすみなさい。
2012/1/13
“日本のひとは時間を隙間なく埋めてしまうのが大好きなようにみえる。
「ぎっちりした時間」が出来上がると、ちょっと嬉しそうだ。
逆に午後4時から午後7時まで「なにもない空白」な時間があると、とても不安になったりしそうである。
この3時間を、どうやってすごせばよいだろう。
ほんとうは、3時間も空いてしまったら、大チャンスなのだから、もしきみが海辺の町で仕事をしているのだったら、ベーカリーによってクリーム・バンを買って、コーヒーのボトルをもって、海辺のベンチに歩いておりていって、ぼんやり海を見ているのが良いのです。
ずっと昔のことを考えて、ああ、あんなことあったなあ、と頭の奥のすみっこで曖昧な輪郭をなしている記憶を呼び起こす。
持っているクルマのサードギアがスムースに入らないのはなぜだろうと思う。
自分にはどんな伴侶が向いているのだろう。
SFって読んだことないけどおもしろいのかな。
文明人の特徴というべきか定義というべきかは、まさにこれであって、文明人で精神が健全なら「3時間」などは、そうやってぼんやりものごとを思い浮かべているだけであっというまに経ってしまう。
そうやって3時間を過ごせないで退屈してしまうひと、というのは、それだけ自分の中の文明が破壊されてしまっているのだと思います。”
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『めがね』を観て、ふと上記の文章を思い出した。
好きなやりとりがあった。
「人は、死んだらどうなるんですか?」「このお魚と同じです。一度死んだら二度と死にません」
どこかで聞いたような感じだな、と思ったら、そうだ、『解夏』だ、と。
「失明した瞬間に、失明する恐怖は終わります。その日があなたにとっての解夏なのでしょう」
これは正確ではないけど、そういうセリフがあった。
終わってしまう恐怖は、終わった瞬間に終わる。
旅は終わる。還る場所がある限り。
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札幌はがっつり冬です。でもいいですよ。十分黄昏れられる。
ストーブの温風に包まれて、スノードームの中のような雪景色をぼんやり眺める。
お正月のお餅が、そういえば余っていたな。
十勝の方から送られてきた小豆があったから、しっかり煮てお汁粉にしよう。
昨夜、夢で見た海へ続く坂道の美しい街が、日本のどこかに本当にあったら良いな、と微笑む。
あとは好きな人の、私に見せたことない表情の事をぼんやり想う。
昨日の一挙一動を思い出して、私はこんなにも、もう戻れないところまで来てしまったのか、とぼんやり嘆く。
忙しい。黄昏れるのに忙しいよ。
あけましておめでとうございます◎
毎年色々なことがめまぐるしく変わっていくので、何が何処でどうなるか予想もつきません。
ただ今年も、いっぱい遊びたいです。修論の年ですが。
私はまだまだ風の子でいたい。いつまでも遊び続けたいです。
エキサイティングに、クリエイティブに、アクティブに、貪欲に、いこ。
今年もよろしくお願いいたします。
お正月に先駆けてちょいとお知らせ。
子ども映画制作ワークショップ2011作品「命の樹」が、シアターキノで上映されます!
同時上映は「やぎの冒険」。沖縄の中学生が監督の短編映画です。
1/2〜6の16:25から一日一回上映になります。
どちらもかなりの感動作です。ぜひ観に来て下さい◎
Rei Harakami「Come Here Go There」
年の瀬。ふと思う。
rei harakamiも志村も、もうこの世界を表現することはできないんだよな。
彼らが歌うことのできない世界を、今、私は生きている。
そのことを、多分一生忘れちゃいけないんだ思う。
「UP SIDE DOWN クリエイションレコーズ・ヒストリー」
今日はこの映画を見てきました。音楽の系譜全然知らないで聞いてたなあ。
そうかそうか、オアシスはこういう流れの中で出てきたんだな。ふむふむ。
「怒り」のエネルギーや、「カオス」から生まれる禍々しくも美しいポップスたちに出会えました。
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こういうことの繰り返しなんだと、分かっていたはずなんだけどなあ。
杏酒に今日も新しい炭酸を混ぜる。付け合わせは豆のペーストとハッシュドポテト。
「私じゃダメかな。私じゃダメですか。」
「いつもと変わらないことしか話せない、家路を急ぐ私は一人きり。」
自分は今日も愚かで醜くて意地汚いです。分かっていてもやめられない。
この鼻も舌も睫毛も、キツい炭酸に溶かされて消えてなくなってしまえばいい。
私の真っ黒な瞳を満たす黄金の液体が、神経の隅々まで染み渡って。
そして、いつか、ほんの少しでも分かってもらえますように。
今日も北の街は鋭敏な風が吹いている。
「朽ちてゆくまで」って、何だっけ、何のタイトルだっけ、と思ったら宮部みゆきの短編集だった。
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死ぬ準備について。
マホの卒業制作で、幽霊は生者が生きていくために必要とされる存在である、という話をしていて、確かに!とポンと膝を打ったのだけど。
ユウと葬式の話をしていて、自分の死ぬ準備としての葬式、ということにもフムフムと思った。
明日、私が死んでも困らないように、お金をかけて葬式やお墓の手配をしておく。
生者があたふたしないように、きれいに旅立てるように。
他者が死ぬという心構えももちろんだけど、自分だって死ぬんだよ?という準備って意外としていないのかもしれない。覚悟はあっても。
帰り道、Coccoの「遺書」を聴いた。
私が前触れも無く、ある日突然、死んでしまったなら。
カメラはあの人に託そう、紙や材料類はあの子に、服はあの人に、本はあの人に。
葬式はこの人とあの人も忘れずに呼んで。大事だった人だから。住所録残しておくから。
宗派はよく分からない、あとで親に聞こう。淡々としたお坊さんに、淡々とお経を読んでもらおう。
写真はどうしようかな、良いのないんだよな。今度ポートレートを撮っておくからそれにしよう。
火葬場へ見送るときには、どうしようかな、今のところキセルの「ベガ」をかけてほしいな。
骨も多分細いしなあ。骨壺の中は嫌だな。
松前の海がいいな。あの海で生きたイカやウニやアワビにはお世話になったから、恩を返さないといけない。
春の石浜で小さくうずくまって眠っていたら、小指の爪にも満たない小さな甲虫がいつの間にかそばにいてくれたこと、多分一生忘れないから。
だから、あの海に撒いてほしいな。
そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。